オイラの英才教育論 その3

2011年8月23日

『戦後の子供は自然と「分」をわきまえていた』 

 「ドリームズ・カム・トゥルー」なんて言葉があるアメリカの影響なのかもしれないけど、今のニッポンは「夢至上主義」になっちまった。何でも努力の量のせいにして、人間は本来差があるものだっていう現実をうやむやにしちまうんだ。 「夢」とか「努力」って言葉で、才能がないヤツはいくらやったってダメだっていう真実を、覆い隠そうとしているようにしか見えないんだよ。

 もし才能があったって、運が悪くて桧舞台に立てない可能性だってある。それなのに、「夢は必ず叶う」なんて無責任すぎるじゃないかってさ。
 
 「お前はできる」「夢は叶う」って呪文を聞かされ続けてきた子供が、叶わなかった時にどうなるのか。 大人になって、大学を出る頃になりゃ、イヤでも社会の厳しさを知ることになる。 そこにきていきなりハシゴを外されちゃうから、社会に背を向けて閉じこもってしまったり、自分の周りの環境に責任転嫁してしまうヤツラが増えてしまうんだよ。

 それよりも子を持つ親にとって大事なのは、夢破れた子供のために、逃げ道を用意しておいてやることだね。 勘違いしてほしくないんだけど、それはエスカレーター式の学校にやったり、貯金や資産を残してやろうって話じゃなくてさ。

 そうじゃなくて、人間は決して平等じゃない、努力したって報われないことの方が多いっていう厳しい現実を、子供の頃から親の責任で叩き込んでおいてやるってことなんだよ。

 オイラがガキの頃は、自然にそうだった。 ウチの近所なんて、「学者になりたい」って子供には「無理だよ、お前はバカなんだから」っていっちゃうし、「グローブ買ってくれ」っていえば、「ダメ、ウチは貧乏なんだから」で終わり。 そういう毎日だから、子供はおのずと自分の「分」をわきまえることを覚えていったんだよ。

 当時の親は、「かえるの子はかえる」ってどっかで冷静に自分の子供を見つめてたし、そうやって子供に我慢を教えることが、ひとつの教育だってことをよく知っていたんじゃないかと思うね。
今じゃ世の中豊かになって、たいがいのものは手に入るようになった。それで、子供も世の中も、「努力すれば夢は叶う」と勘違いしてしまったのかもしれない。 でも本当は「努力すれば叶う夢もごくまれにある」ってことなんだよ。

 男ってのは、自分には才能がないとわかってからが勝負なんじゃないかと思う。 そんな時に大きいのは父親の力だよ。父親にできるのは、いつか子供がうまくいかずに傷ついた時に、それでも生きていけるようなタフな心を育ててやること。 だから、子供の心を傷つけることを恐れちゃいけないと思うんだ。

 理解ある父親なんてもんになる必要はない。父親は、子供が出会う人生最初の障害ってことでいいと思うんだよ。

 つづく・・・


先日の秋田・青森出張の際、山形県の海岸にある『道の駅』へ寄ったら、沢山の赤とんぼが山からおりてきていました、秋ですね!

ここのところ涼しくて過ごしやすい毎日ですが、もう一度残暑がやってくるとか

今年の猛暑も『節電』で何とか乗り切った感じですが、やれば出来るものですね!